2013年4月28日日曜日

狩猟と駆除の狭間で…

平成24年度補正予算で「鳥獣被害防止緊急捕獲等対策」が措置された。予算額は約130億円と結構な規模である。これが24年度中に各都道府県に配分された。北海道への配分額は約17億円で、これを3年間で使っていくことになる。

具体的な内容としては、有害鳥獣の捕獲経費としてイノシシ、シカ、クマ等は1頭当たり8000円、鳥類は1羽200円が交付される。また、防護柵の機能向上にかかる経費、たとえば柵の高さを上げたり、丈夫なものに変える場合にも一定の補助を受けることができる。

ちなみに道の担当者に確認したところ、捕獲経費の交付については駆除を対象としており、狩猟は対象としていないとのこと。狩猟はあくまでも趣味であって、事業対象とするには業務としての位置付けが必要になる。つまり、ハンターの資格をもっていても有害鳥獣駆除員でなければ本事業の交付対象にはならないということだった。当然といえば当然である。

有害鳥獣駆除員になりたい場合はどうすれば良いのだろうか?とりあえず私の家の近所にあるJAに問い合わせてみた。札幌市の場合、駆除対象としている動物はヒグマ、キツネ、カラス、キジバト等でエゾシカは含まれていないとのこと。また、駆除員の選定はJAや行政ではなく、ある人に任されているらしい。猟友会に相談しても「とりあえずそういう事情だから、もう少し待ってくれ」ということだった。

私の場合、農業被害を少しでも減らしたいとの思いでこの世界に入った。10月から3月までの猟期だけでなく、年間通して捕獲活動をしたい。そのために駆除の許可が欲しいのである。そもそも弾代やガソリン代も出せない状態ならこんなことはやっていないが、少なくともお金が欲しくてやっているつもりは毛頭ない。ただ、どんな世界でもお金がちらつくとそこには利権が発生する。どうやら狩猟の世界においても例外ではなさそうなのだ。

いずれにしても本事業ができたおかげで利権化が一層進むことにならないよう祈っている。一般の方から見ると本事業が措置されたことで鳥獣被害対策も大いに進むと思うかもしれない。ただ、そこには色々な問題があるように思えてならないのである。

2013年4月23日火曜日

銃検査

 
4月中旬、銃検査のため猟銃2丁と必要書類を持って所轄の警察署へ出頭する。銃を所持する者にとって年に1回のイベントである。
 
警察から日時が指定されるのでその時間に会場へ行くと、すでに順番待ちの列ができていた。はじめに登録している銃が改造されていないか、担当官が長さや口径などを測る。中には銃を4丁も持っている人がいて結構大変そうだった。
 
その後で面接がある。事前に作成する書類は次の3種類。また、確認のために実包記録簿と所持許可証は必携である。
(1)銃砲検査調査票
(2)銃砲保管状況報告書
(3)使用実績報告書
 
ちなみに(1)は毎年同じ内容を記入する形。(2)も基本的には同じだが、ロッカーの設置場所の図面を添付するので位置を変えた場合は図面の変更が必要。また、写真添付も必要なのでこれも毎年撮り直している。(3)はいつどこで撃ったかを銃毎に2箇所記入する。来年の銃検査のためにいずれの様式もコピーして控えをとっておくと便利である。
 
面接は担当官と1対1で行われる。今年から調査様式が細かくなったらしく、消費した弾数について詳細に聞き取りされた。私は狩猟で使うたびに記録簿に記録しているので間違いはない。15分ほどで検査は終了した。
 
担当官によってはかなり時間がかかっている人もいたが、聞かれたことに対して正しく、きちんと受け答えできれば全く問題はない。銃検査だからといって特別どうということではなく、普段からの心掛けが大切なのである。
 

2013年4月6日土曜日

新聞記事




ある新聞に私の狩猟活動のことが掲載された。担当の記者から取材依頼を受けた時、一瞬どうしようかというためらいもあった。しかし、ハンターの減少と鳥獣被害の増加が取り沙汰される中、その解決のための一助になればという気持ちもあり、受けることにしたのである。

記事には自分がハンターになろうと思ったきっかけ、そしてこのブログのことなどが書かれている。また、紙上に掲載されている写真であるが、実際の狩猟で撮った写真は画質が粗くて使い物にならず、締め切り直前にカミさんに撮影してもらったものだ。

もうお気付きかと思うが、上記の新聞記事にはモザイクをかけている。私が銃所持者である以上、名前や顔を明らかにすることはもってのほか、自分が誰で、どこに住んでいるかということが特定されてはまずい。もしかすると私の銃を狙っている犯罪者が見ているかもしれないからだ。

自分がハンターであると同時に、銃の所持者であることを隠して生活しなければならないという現実がここにある。もっとも銃による犯罪がこの世から無くなればこういう心配をすることはない。そういう社会が1日も早く到来することを願うばかりである。